昔、もしかしたら今でもだけど
世の中が相対的なものだからいけないと思っていた。
「より良いもの」を求める働きは、終わりのない努力を僕らに要求するし
「より悪いもの」を嫌う働きは、いじめや差別を生んでいる。
でも絶対的も怖い。
それを失ったら全てを失ってしまうから。
過去の失恋のときはだいたいそうだった。
でも現実は相対的だったから、次の恋に出会えた。
だから今は都合よく「相対的」と「絶対的」を使い分けようと思っている。
落ち込むことがあっても、きっと誰かが癒してくれるし
それを人に伝えることができれば、必ずきっと道は開けてくる。
「見捨てる神あれば拾う神あり」
よく言ったもんだ。
日本には八百万の神がいる。
全ての神様に愛されなくても、きっと800万もいればそのうち一人か二人には愛していただけるんではないかな?
貧乏神様には少なくとも愛されてる気がする。
風邪をひいたのをあまり人には言わないのだけど、今回は言ってみた。
するとあっさりだけど、やさしい言葉をもらえた。
弁財天様や天照大神ではないけど、少しだけ愛されていると感じられた。
ありがとう^^