幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

備忘録 ~僕が忘れたくない、忘れがちなこと~

えと、僕による僕のためのエントリです。

僕は、僕自身は自分が世間一般とうまく折り合いを付けられていないと思っている。

一応まだ法に触れるようなことはしていないはずだし、外側から見ればそこそこちゃんと生きているように見えるのかもしれない。でも実際はかなり常識外れな生き方してて、社会生活を送る上で少々生きづらさを感じてしまう。

これまでの人生経験で、常識ってのは思い込みなんだと言うことに気付いた。

だから、社会生活を送る上での生きづらさもきっと思い込みなんだと思うけど、事実僕は自分の「やりたいこと」を世間体やら何やらで思いとどまることもある。

やっぱり他人からどう見られているかなんてのも気になってしまう。

ここでは本名を名乗ってもいないし、僕を特定する情報はそれほど多く出してはいないつもりだけど、その気になれば僕を特定するのは容易いだろう。特定するだけの価値もないと思うのだけれど、「できる」「できないで」言うと、「できちゃう」ので僕はここで僕のすべてをさらけ出しているわけではない。特定されたところで、大したことにはならないのだけど、僕は何を恐れているのだろうか?

それはきっと、「ここで作られた人間関係への悪影響だ」

僕はここで、僕の見せたい自分、僕が見せてもいいと考える自分を文章によって表現している。それは時に、メッセージだったりもするのだけど、常識外れな僕が不特定多数の誰かから優しさを感じるためにしていることなのかも知れない。いや、もっと消極的かな?「嫌われないように」と言うのが正しいのかもしれない。そして、たぶん同じことを、ネットではない現実世界でも僕はしている。

僕が他人に語る僕、他人に見せる僕は、僕が見せたい僕なのだ。果たしてそんな僕は僕なのだろうか?そんなことをいつも考えてしまっていた。誰かに愛されたいと願って、愛される為に演じる僕。そんな僕自身を僕は愛せなかった。

愛されることは、そのまま幸福なことだと思う。

愛されていると感じることは、実際そこに愛と言う関係性がなくても成り立ってしまうかのように思える。でも実際は違う。

僕の勝手な定義だけど、愛っていうのは関係性のことで、その関係にあることだけで幸福感を感じられるものなのだと思う。

人間はカテゴライズとラべリングをする生き物だから、「僕の○○」を愛してくれることはあっても、僕そのものを愛してくれる人は稀なのだと思う。

だって、僕自身が僕を愛せないのだから当然だ。

だから僕は僕の在りたいようにあって、自分自身を愛せるようにしたいと願っている。自分自身を愛せない人間に他人を愛することなどできないと思うから。

自己犠牲的な愛など所詮自己満足に過ぎず、互いに愛と言う関係性に居続けるには自分自身と同様にその相手も愛することが必要なのだと思う。

 

まとめ

・愛と言う関係性が幸福の源泉

・他者を愛するには、まず自分を愛すことが必要

・愛と言うものを愛を得るための道具にしてはならない

 

なんてことを思ったり思わなかったり