幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

自分で思っているほど自分はダメじゃないし、自分で期待しているほど良くもない

ドキッとしました。

まずこちらをご覧ください。

utatanenikki.hatenablog.com

自己愛性人格障害と言うのは知っていたのですが、具体的にどんなものかってのがわからずにいました。で、こちらのエントリを見て「意外と当てはまるかも?」とドキッとして、自分自身の行いをチェック!

引用させていただきます!

アメリカ精神医学会DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって定まっています。以下に引用します。
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行動、態度
上記のうち5つ(またはそれ以上)によって示されます。 

 

1.自己の重要性に関する誇大な感覚

これは、あるかもぉ・・・逆に振れて自分自身がダメだと思うときもあるけど・・・

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

ん~、これは大丈夫かなぁ?”限りない”と言う部分では当てはまらない気がする。でも、理想的な愛の空想これはあるかも?

3. 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

これもないかなぁ?”特別”とは思ってはいるのだけど、それはあまりいい意味ではなくて・・・だから全ての人に理解されるとは思ってはいないし、でも僕の関わりのある人は社会的地位はさておき、素晴らしい人だと思っている。

4. 過剰な賞賛を求める。

基本シャイなんで、あんまり賞賛されると照れちゃいます。

5. 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

ん~これはどうだろ?たまに、と言うか仕事上の立場ではこれ当てはまるかなぁ?

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

これはない、と思いたい。でも実際に利用した形になってしまうことはあったりするからなぁ・・・

7. 共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

これないと僕の仕事成り立たないから該当はしないのかな。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

これはある!僕の嫉妬の炎できっとおいしい中華料理作れます!とは言え、それを表現することはあまりないけどね。

9. 尊大で傲慢な行動、態度

これもなぁ、自分では判断難しいかも?たまに後で後悔するようなことはあるけど、常日頃っていうわけじゃないかな。

自分チェックした結果該当するのは3つくらいかな?だから、自己愛性人格障害ではない!って素人判断ではいけませんよね。

確か、人格障害ってのはたくさん種類があって様々な傾向があるものだと記憶している。

実は大学の卒論はボーダーラインについて哲学的な見地を加えて書いたものだった。当時の定義と現在の定義はだいぶ変わっているようで、当時は自分自身の傾向がボーダーラインに近いのかもしれないと思って調べたのだけど、現在の基準で言うと僕は回避性人格障害の傾向が強いような気がする。

学生時代はなんと言うか、変に真面目で(と言っても素行が真面目だったわけではありませんけどね)、理屈に合わないことや矛盾することが嫌いで、浅はかな正義感とか持ってたりして、要するにとんがってました。今でも譲れないものってはあるんですけどね。

で、それが結構極端だったので真剣に自分の精神状況を疑ったりしていました。

その後社会に出て、いろんな人に出会い、それまで学校という「選別された社会」にいた時に比べ、多様な価値観と人格に触れたことでなんかどうでもよくなってしまったんですけどね。

たぶん僕も十分に「変なヤツ」ですけど、僕と同様に「変なヤツ」はたくさんいるし、結局程度の問題なんだろうなって思うようになったんでしょう。

そう思ったらなんか楽になっちゃって、変な自分も好きになってやろうって思えた。

 

 

 

ただね、心の問題って目に見えるものじゃないから悩みって深いんだと思うんですよ。他人と比較するのが難しいから。「普通」と言うことへの信仰が強すぎて、そこから外れることへの恐怖心って凄く強いと思うんです。僕の場合は、「外れている」意識があったからあまり悩んだことはないんですけど、他の方のブログを見ていても、実際に社会で見かける人たちにも「普通」の呪縛を感じてしまいます。

特に今回のエントリであげられたような”パワハラ”とか”セクハラ”に関しては、人格障害と言う”病気”であったとしても、許しちゃいけないことだと思いますし、そんな病気の人に押し付けられた「普通」に悩む人がいらしたら是非ご相談されることを願いたいのです。

あなたは「悪くない」のですから。

 

僕が自分自身を励ましたり、追い込まないようにするために常に思っていることをタイトルにしてみました。

実際、そうだと思うんですよね、期待するほど大したことはできないし、思っているほどダメな人間でもない、そんなものじゃないですかね、人間って。