「はじめに言葉ありき」で始まるマタイの福音書。
その最も読まれた本によって、ロゴスと言う言葉は神聖さを帯びてしまった。
その効果はロゴスに対して「疑い得ないもの」と言うようなある種の特権を与えてしまい、疑うにしても「疑う方法」が確立された。
でもね、思うのです。僕らは常にロゴスのつもりで言葉を紡いでいても、実はそれってミュトスでしかないんじゃないかって。
世界の解釈は人それぞれで、同じものを見ているようでいて、実は見え方は違っていて、同じ言葉を話しているのに分かり合えないなんてざらなこと。
僕らは自分自身がロゴスと信じるミュトスを語る。
人の数だけ神様がいて、人の数だけロゴスがある。
時にそれが同じもののように思えるときもあるけど、でもきっとディティールは違う。
あ、そうか!だから宗教によっては偶像崇拝を禁止しているのか。
でもまぁいいや、なんか太平洋眺めてたら小難しいことどうでもよくなった。
僕は、僕の女神様が僕に微笑みかけてくれるだけで、それだけでいいや。
さて、それがいつのことになるのやら。