もし悪があるならば、きっとそれは意志が純粋過ぎる状態なんだと思う。純粋過ぎるものを人は、大人は理解ができないから。そして純粋さは他者を理解しようとしないから。
でもきっとそんな純粋さも受け止め方によっては、素晴らしい感動をもたらしてくれる。
有名なお話だけど、これってまさにそんな例じゃないかな?
ある田舎町に住む野球好きの少年がいました。この少年は事故で視力を失いましたが、少年が光を取り戻そうとする大手術をすることになっていました。大好きな野球を見たかったために!
もう一人の主人公はメジャーリーグでもベスト5に入るスラッガーです。彼はその盲目の少年が自分のチームのファンであることを知りました。そこで、彼は少年に面会するのですが、そのことをチーム広報担当がマスコミにリークしていたために、ベーブ・ルースのように「予告ホームラン」をさせようと画策したのです。
もちろん、彼は純粋に自分のチームのファンである少年に会って、「何かの役に立てれば」との想いしかなく、面会当日は、マスコミ新聞社で押し寄せ大騒ぎになっていました。
不機嫌な彼は、少年に会って、少年の言葉に驚いてしまいました。
「一度でいいから、あなたの打つホームランを自分の目で見たい」でした。彼は盲目の少年に何と答えていいかわからないのですが、こう答えました。
「ああ、ホームランを打てば、ラジオで聞こえるよ。ボールがバットに当たった音とアナウンサーがホームランを打ったって、いうからね」
少年は、
「じゃあ、次の試合、打ってね。ホームラン。僕にも聞こえるような大きな音で大きなホームランを!」
待機していたマスコミは早速、翌日の新聞で「予告ホームラン、盲目の少年と約束」と出してしまった。
彼は戸惑った。でも、ベストを尽くして何とかすればきっと打てると考え、当日の試合を迎えました。しかし、連戦連勝の相手チームのエースは真っ向から勝負してきた。もちろん予告ホームランを知っていたからですが、それより、エースとしてのプライドとして、打たせてやることも可能でしょうが、それはプロとして失格だし、そんなことをすればスラッガーの彼にも失礼だと思っていたからです。
そして、結果はと途中まで3打席1安打1三振1打点、最終打席の4回目の対決。9回2アウト3塁2塁。1-3の2点差、ここでホームランを打てば、逆転サヨナラホームランの場面であった。もちろん、ここで1塁に敬遠しても、次は不調のバッターだし、勝利の確立はより高くなります。
しかし、エースはマウンドでストレートの握りを彼に見せていました。予告ホームランに対してのストレート勝負の予告投球にスタジアムは騒然になっていた。
アナウンサーもそれを、視聴者に伝えた。少年は祈るようにラジオにかじりついて、
「お願い!打って」と声をあげて声援した。
2-3のフルカウント。最後の一球もストレートを予告。
そして、エースは投げた。彼も力を込めてフルスイングした。
しかし、そのボールは見事にキャッチャーミットに収まった。
その時だった。ラジオのアナウンサーは叫んだ「やりました。打ちました。見事な打球がスタジアムを超えて場外へ、月へ届くような大きなホームランです。」
スタジアムの観客も大きな拍手をして、2人の勝負の讃えた。
観客はもちろん、彼の名前を連呼して、「ナイス・ホームラン」と口ぐちに、そして会場が同じ言葉でつながった。
アナウンサーは少年の名前を呼んで「聞いてるかい。すごい声援だろう?このホームランはみんなの心に残っているんだ。手術を成功させて、今度は君自身の目でホームランを見ににスタジアムに来るんだ。今度は手術で君がホームランを打つんだよ」と締めくくった。
あくる日の新聞の見出しにこんな言葉があった。
「昨日の試合、4打数2安打、2三振、そのうち1三振は見事なホームランだった。
誰もが、目撃したはずだ。心でしか見えないホームランだった。ラジオのアナウンサーはこのホームランを見事に中継した。http://www.eonet.ne.jp/~wavepro/essei001.html
こちらより引用させていただきました。