五月もそろそろ終わる。
この時期になると「新会社員」たちの面白行動が記事になる。
ある意味でこの時期に話題になるのは、五月病と言う関門を乗り越え、無事「会社員」に成れた子たちの古株「会社員」による洗礼のようなものだと思う。
日本では既に「終身雇用」は崩壊している。
多くの中小零細企業においては、退職金などの制度は既になく、人材の流動性が高まる条件が整いつつある。斯言う僕も、既に現在の会社で会社としては5社目、恐らく書類上では7社目になる(個人事業からの法人化を経験しているので)。社会人として既に13年ほどの間でこれだけの転職・転籍なのだからかなり多い方なのだと思う。その経験をしてきて感じるのだけど、
日本では社会人ではなく会社員になるのではないだろうか。
他社の中に入って業務を行う機会の多いICTの業界などでは当たり前に感じられることだと思うのだけど、企業の文化と言うか作法はかなり違う。雇用が流動化してゆく中で、この企業文化と言うものはいろんな意味で見直されるべきものではないかと思う。取引先で出されたお茶を飲むか飲まないかで議論になっているらしいけど、
これも企業文化の違いで答えが変わってくる問題の一つだろう。
正直、どっちでもいいような気がするんだけど、事実どうでも良くないと思っている人がいるから議論になるんだろう。この記事に書かれているような「お茶を飲む」「飲まない」と言った事実よりも深い意味をそこに見出してしまう人もいるのだろう。
でも、それは他のマナーと一緒で、同じセンスを持った人たちにのみ通じる非明文化されたルールであって、世界共通のルールではない。でも、会社員となるとその会社内での文化がその人のルールとなってしまい、他の企業ではそのルールが通用しないなどと言うのことがある。
僕が実体験上困ったのはメールの書き方。
別に宛名と本文の間に一行ブランクがあってもいいじゃん!と言いつつ、未だに某国際商業機械さんのメールマナーに則ってるんだけどね。
でもさ、たかだかメールって10年かそこらしか運用実績のないシステムじゃないですか?だと言うのに、企業では「作法」が歴然と存在する。外資系企業でも日本事業所内「だけ」のオリジナルルールとして存在していたりして、ディビジョンが変わるとその作法も変わっていた。マナーってのは資本がどこにあろうとも関係ないようだ。
作法やマナーと言うものが、必要から生まれてきたものであるのは十分わかるのだけど、それが世界で通用するルールと思ってしまうのは危険だと思う。それを自分のいる世界の標準でしかないことを知らずにいると、無駄な軋轢を生んでしまうのではないかと思う。
新卒の学生が企業に入社してなるのは「会社員」であって社会人ではない。
社会の一員としている限り、本来は未成年であっても社会人であるべきだと思う。
以上
best regards