幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

学問と宗教

今日は珍しく真面目に仕事しました。

 
久々に仕事しっかりやると心地よい疲労感がありますね。
 
充実ってこう言う事なのかな?
 
さてさて、また大層なタイトルで書き始めてしまいましたが、始めに申し上げておきます。
大した事書きません。
 
宗教って言うものや学問について。
 
昔から不思議に思っていることがあって、もしご存知でしたら教えていただきたいのですが、ギリシャ神話と日本神話に似たようなエピソードあるじゃないですか?
 
死んだ奥さんを追って黄泉の国へ行って連れ帰ろうとするお話。
 
時代的にも、距離的にも遠く離れた場所で同じような話が出来上がるのが不思議でならなかったんです。
 
そもそも神話って、自然現象を古代の人なりに解釈した物語で、多くの古代宗教が多神教なのは多岐にわたる自然現象の「わからない」ところを神様を使って擬人化を行ったんだと思うんです。
 
その後一神教が世界を席巻しますが、一神教はどうやらその成立に強く政治的目的が見え隠れしてる気がします。結局広い版図を手にしたら土地土地の神様同士で争ってると大変ですからね。だから一番偉い神様作って、それまでの神様の力を抑圧したんじゃないでしょうか?
 
多神教の神様たちは非常に人間臭くて、なんかそこいらですれ違って「よ!」とか言ってそうですよね。「天の岩戸」の話も、ドンチャン騒ぎが気になって、出てきたところを引きずり出されるとかって、神様が絶対的な存在として描かれていません。
 
神様が相対的であった当時って、なんかもっとゆるい感じだったんじゃないですかね?人も「ったくしょーがねーなー」みたいなノリで、一応上下はあって命令には従うみたいな感じで信仰してたり、神様同士も「あ、おたくはそんな感じ?うちはこうなんだよね!」みたいなある種の共生関係と言うか、争わずにいる知恵みたいなものが発達したんじゃないでしょうか?
 
一神教は、そこんとこタイトですよね?「ハァ?何言ってんの?神様っつぅたらうちのしかいないっしょ?ヤンのかコラ!?」って言う縄張り争い多いですもん。
 
で、学問も特にニュートン物理学あたりから一神教っぽくなって来てる気がします。究極的な心理と思われる理論からどんどん派生して行く真理みたいな感じで、前提が固定されてしまったと言うか、キリスト教の影響が大き過ぎたんでしょうね。実証が難しいものですが、ダーウィンの進化論も受け入れられるまではだいぶかかったみたいですし。
 
一方で、キリスト教圏を外れると、東洋医学とか西洋医学とは別の発展をしてたり、日本では世界でも稀な治水技術や都市排水システムが発展していたり、一神教的な世界では発展しなかった領域での発展が多く見られた。
 
そして、時代は現在。インターネットが普及して情報が一瞬にして世界を駆け巡る時代に、同時多発的にいろんな国から同じようなサービスが生まれている。
 
なんか、このあたり神話の類似に似てるなって思ったんです。
これがね、宗教的背景が違う東洋と西洋でも、学習している内容が似通ってきたことによって発生しているのか?それとも、もっと根源的な部分で人間の求めるものが一緒だったのか?
 
ん~考えると眠れなくなりそうです。