幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

ゼロサムゲーム

ゼロサムゲーム

ゼロサムゲームとは、経済学における「ゲーム理論」と呼ばれる経済理論における用語。参加者の得点と失点の総和(サム)が0(ゼロ)になるゲームのことをさす。対戦者同士が一定の得点を争いあうようなゲームなどが代表的である。ゼロ和とも呼ばれる。

例えば、2人のプレイヤーが参加するゲームでそれぞれが1,000円ずつを出し合って、ゲームの勝者が出し合った資金を総取りするようなゲームが挙げられる。(この場合は勝者2,000円、敗者0円となり、当初の資金の合計額である2,000円と変化がない)
対して、総和がプラスとなるゲームを「プラスサムゲーム」、マイナスとなるゲームを「マイナスサムゲーム」とも呼ぶ。(またはまとめて非ゼロサムゲームと呼ぶこともある)

投資においては市場が拡大しない市場は、ゼロサムゲームとなる。たとえば代表的な資産運用市場において「株式市場」は非ゼロサムゲームである。これは株価が上昇することにより新たな価値が創造される一方、株価の下落により価値が減少するためである。
一方で、外国為替取引は、価値同士の相対的な取引となり、一方の為替レートがあがるのであれば一方は必ず下がることになるため、為替取引はゼロサムゲームとなる。

 有限なリソースを取り合って、戦うことみたいなもんかな?勝者がいれば必ず敗者がいる世界。

 

人生ってゼロサムゲーム

 

勝ち組と負け組

勝ち組と負け組って言葉が一時流行った。そして、ある程度定着した。

その背景にはきっと人生がゼロサムゲームだと思われていたからだろう。

特に経済においてはそうなんだと思う。

かつて日本人がエコにミックアニマルと世界から批判された時代、批判を受けている日本人は”勝ち組”だったのだと思い込んでいた。

しかし、今はどうだろうか?貧困率が30%にもなる日本はまだ勝ち組と言えるのだろうか?

対外的に負け組と自覚がどこかにあるのだろう。だからこそ、国内でのカテゴライズを始めた。

そうしなければならない理由があったからだ。

 

スクルージは勝ち組か?

ディケンズの「クリスマスカロル」。そのストーリーは映画やドラマなどのモチーフにもなり、世界で最も知られている物語のひとつだろう。その主人公スクルージは果たして勝ち組だったのだろうか?物語はその問いに対してテーマでは”否”と答えている。クリスマスにスクルージが出会ったゴースト達によって改心させられた後は物語はハッピーエンドで終わる点を考えると勝ち組と言えるのだろうか?

しかし、その後改心したスクルージはおそらくこれまで自分のしたことの非道さを後悔するのであれば、決してハッピーエンドとは言えない。むしろ改心することなく、自分の信念に従っていた方がある意味では自分の不幸を知らずに済んだのかもしれない。「知らぬが仏」といった境地であれば、きっとどんな生き方であっても幸福なのだろう。

 

現代の不幸

「知らぬが仏」が通じないのだ。いや、望んでそのような環境を作ることはもちろんできる。しかし、現実的ではない。これほどまでに情報に溢れ、同じ尺度で比較しようとする社会において、自分だけその葉中の外にいることは、ある意味でラットレースを有利に進める以上に難しいことかもしれない。

 

と書いたは良いものの、落としどころがわからないw