幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

メロスじゃないけど激怒した

普段、温厚な人間だと、自分で思う。

 

むしろチキンなくらい怒ったりしない。

 

暴力を伴う喧嘩は10代のころに卒業して、20代になってからは・・・なかったはず。

 

そんな僕がメロスじゃないけど激怒した。

 

何に対してって・・・具体的なことはあまり書きたくないのだけど・・・やっぱ書かないw何かしらきっと批判的なことになるから。

 

久々に怒りを感じてしまって、正直自分でも驚いているので、少し怒りについて考えてみた。すごく漠然とした抽象的なお話しになってしまうのですが、ご容赦を!

 

たぶん、なんだけど怒りと言うのは「期待」が「裏切られた」ときに発生する。

 

「こうあるべきだ」というものに反することが怒りの対象になることが多いと思うんだけど、それも言い方を変えると「こうあるべき」と言うのが「こうあって欲しい」と言う期待なんだと思う。

 

実はこれ、最近気づいたことじゃなくて、かつてお付き合いした人との喧嘩をしたときに気付いた。

 

本当にささいなことで喧嘩になってしまった。

 

こんな感じ

 

僕「ごめん、待たせちゃったね。電車遅れちゃってて」

 

彼女「遅い!連絡くらいちょうだいよ!心配したんだから」

 

僕「ごめんごめん。電車中だったから電話できなくてさ」

 

彼女「メールの一つもできるでしょ?」

 

僕「う、うん・・・ごめん」

 

彼女「だいたいさ、いつも・・・」

と一方的に責められるのでした。

これは圧倒的に彼女が正しかった。

確かにメール送っていればいいのだ。

そうすることで、僕はこんなに責められることはなかったはずだ。

でも、僕なりに言い訳をさせてもらうと、駅で待ち合わせしていたので、僕には彼女にも電車が遅れていることが伝わっていると「勝手に」思い込んで連絡をしなかった。そう、僕も彼女が知っていると「期待」してしまったのだ。

 

何かに期待することって決して悪くないことだし、むしろ「期待」はモチベーションになったりする。だからこそ、その期待が裏切られたときには怒りを感じるんだ。

 

政治家が何を言っても何をしても怒りを覚えないのはもう期待していないからなんだろうね。