幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

捨てる神と拾う神

きっとね、神様なんてのはそこら中にいてさ、日本じゃ、お客様って言う神様だらけだ。

 

元塾の先生として、昨今の夏休み短縮論についてはさ、正直、僕自身が賛否両論なのだ。先生方の長時間労働を無くすためとは言うものの、大方の予想では実現したとしても、先生方の長時間労働はなくならないと言われている。でもね、僕はこの点は、ある程度実現されると思っている。先生方の時間は増える。一部はね。

細かいとこまで説明する気力が無いので省くが、職業教師は増えているから、実現されると思っているのだ。んで、塾側としたらさ、稼ぎの根拠がなくなる。

 

長い夏休みだからこそ、夏期講習は売れるんであって、子供を哀れんじゃうような短い夏休みには夏期講習なんて売れない。

 

塾の構造って良くできていて、夏冬、そして春の講習の費用はだいたい、保護者の賞与増額分の比率で収まるんだ。

 

ま、当然っちゃ当然だけどね。ない袖は振れないってね。で、結局不幸なのはさ、ない袖はのご家庭だよね。

 

子供の学習時間を確保する目的なら、夏休みを短縮しなくっても、大丈夫、子どもたちは、その分、普段以上に塾で勉強してるよ。夏休みが減ったとしても、きっとね、塾は自分の稼ぎを確保するために、今までと同じ提案するよ。

 

すると、塾に通う子供たちはさらに時間が無くなる。じゃ塾にいけない子供たちはどうかって言うとだね、日常の授業数が減り、夏休みには塾に通う友達との遊ぶ時間が激減する。

 

学力が落ちたら、もっと頑張れって?ゆとりは失敗だったから、今度は厳しく?チョロQか?

 

残念ながら、日本には、深いものも、浅いものも、哲学が無い。

 

と言うのも、おそらく、そこそこ慣らされた差異の少ない生活文化を築けて来たからだとは思うのだけど、直面する現実に対しての対処療法と言うか姑息療法と言うか、とにかく、問題に対して、根本的な解決無しに、努力している事が評価される生活文化的な解決をテンプレートにしちゃったからなのだと思う。

 

物なり豊かで、多少うっとおしいが、さして害にもならない、小さな為政者に鳴らされて、ちょっと我慢すれば、そこそこ幸福と思える文化が育っちゃった事に起因すんだろうね。

 

んで、そんな文化的、歴史的背景から生まれてくる、施策なんて、最大多数の最小不幸を得る結果にしかなりゃしない。

 

んじゃ欧米方式が良いかって言うとだね、実はそうでも無くて、帝国主義の時代の遺産の再配分が完了した後に、結局、欧米諸国が、40代のニートみたいな存在だったんだなって気づくのさ。

 

現実に、人は食わなきゃなんねぇし、食いもん得る効率的な方法をさ、作れたから豊かになれるかって言うとだね、実はそうでも無くてさ、結局のところ、食って生きる事にどれだけ価値を見いだせるかって話じゃのかね?

 

今、僕は積極的に死のうなんて思わないけど、単に生きるだけでは味気ないと思うのだよ。

かと言って、何か使命感に突き動かされることもなく、幸か不幸か、何かしらの責任を感じる立場でもない。

 

ある種の中年ゾンビなのだが、ゾンビ増えてるんじゃない?

 

神仏に見捨てられたら、ブードゥーの神様に拾ってもらうしか無いのかな?