僕は何故このブログを書くのか?
多分暇なんだよ。
僕の僅かな歴史において、確かに文章を書くことが、楽しみであった事が多いのだけど、でもそれはきっと、それ以上の楽しみがない時期にはって言う、消極的な意欲でしかなくて。他人に問われたら、尤もらしい言い訳として楽しいからって言いはするけど、きっと愛する人がいてさ、日々それを実感できていたら、文章を考える暇もなくそこに惑溺する。
だから、ある意味ジレンマなのだ。
僕がこうして文章を書いているということは、ある意味においては喜ばしいレジャーなのだけど、そんなレジャーが必要な状況ってのはあまり好ましくはない。
でも結局、全部そんなもんなんじゃないかなって思うんだ。
何かに集中し過ぎちゃうと、社会性って言う、訳の分からない同調圧力を感じなくなるけど、人の喜びって大体が社会性のあるものなんだよね。
ここだね、きっと、人生ってもんのテーマはさ。自分って個人、一意の固有名詞を持つ社会的存在、そんな対極の存在を、無理くり折り合いつけようと頑張るってのがテーマなんじゃない?
言葉を発するってのは、誰かに、それは自分自身も含めた誰かに何かを伝えるっていう、社会的な行為だからさ、それを志している限りにおいてはきっと社会にコミットしようって言う努力なんだろうね。
結果にコミットする人たちの手助けを得ずダイエットに成功しつつある、ある日の夜中に。