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幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

対人距離

ここのところ、職場の引っ越しやらがあり、生活のリズムが変わったことで、多少ドタバタしていた。という言い訳をし、少し書くことから離れていたのだけど、実は書くことができなかった。いや、意欲が湧かなかったという方が正しいかな。

んで、じゃぁ書くことが嫌いになったかと言うと、そうではなく、確かに仕事でかなりの量をタイプするので家に帰ってからキーボードには触りたくない日もあるけど、もっとも適切に言うならばきっと必要が無くなったのではないかと思うのだ。

 

非正規ではあるものの、良い職場に恵まれて、良好な人間関係を保てている。着任してからもうすぐ5ヶ月となり、自分の居場所と僕自身が認識できるようになってきたのだと思う。実家に戻ってからは半年が過ぎ、特に日々話をしてるってわけでもないけど、誰かと一緒に食べる朝食ってのは、眠い目を、こすりながらでも良いものだ。色々と不安なことや心配ごとはあるんだけど、でもね、ひとりじゃないって感じられることが、今は僕を満足させてくれている。

 

10代の頃あれほど鬱陶しく感じた家族が、当たり前に僕の自由を制限していた家族が、今は僕を確かにそこにいると感じさせてくれる大事な障害となって、僕を満足させてくれている。

当事者でも都民でもないのに、築地市場移転問題に意見を持ったり、地方議員のセコい不正に憤ったり、そしてそんな意見や憤りを共有してくれる家族や職場の人たちとの関係性に満足している。

だから、ここで、ブログで愚痴る必要が無くなったのではないかと思うのだ。僕はなんて安易な快楽を求めてしまっているんだろうか?刹那的なって言ったら悲しくなるだけなんだけどさ、たまたま良い人間関係に恵まれたからと言って、有限の、仕事ってベース無しには成り立たない関係に夢を見過ぎだろうか?でも、そこに期待しないのも悲しいことだよね。あぁそうか僕はこの幸運に甘んじているからダメなのか。

 

んまぁ、とにかく僕は満たされちゃってたんだと思う。良し悪しは抜きにして、僕はきっと自分を幸せにする方法を知っているのだ。

 

先を考えないこと。今にフォーカスして、これは僕的名言なんだが、今の自分を未来のでも過去のでも、どんな時の自分の奴隷にしないことだ。

 

学生のときに気付いたのだけど、結局のところ人間の人生ってのは、死に向かっている。でも、それを意識することは少なくて、日本だけかもしれないが、夢と言う名の「行動計画書」を毛の生え揃わない、歯の生え揃わない時期から教え込まれて、保育園やら幼稚園の卒園制作的なものには必ず夢って言葉が含まれる。人の夢と書いて儚いって、昔の人は良く考えたもんだ。っておっさんになってから気付いたのだけど、気付くまでは悪しき目標管理の負のスパイラルよろしく、達成可能な目標を立てては下方修正の繰り返し、気づいてみりゃ、しがないおっさんになってるっていうね。世間様やら親の言うとおりしときゃ良かったなんて思う時も、あるっちゃある。

 

でもさ、良い子で幸せなんて、そんなんが僕だとは思えないのさ。良し悪しが相対的なもんであることに気付いてからはさ自分が目指すべきものを見失った。

 一番であることの虚しさ。それってチートで強くなっちゃったゲームみたいに、どこか後ろめたいけど、ちょっといい気分みたいな感覚で、しかもそれがチートせずに得られちゃったら、そりゃおかしくもなるんだろうね。

 

僕はただ本を読むのが好きってだけで、レースに勝って来ちゃったから、世間一般で言うところの努力の記憶がない。

 

欲しいものは初めっから僕の周りにあってさ、でもそれに気付けなかった。多分だけど、多くの人はそうなんじゃないかな?今そこにある危機なんて映画があったけど、僕らはきっと今そこにある幸せにこそフォーカスした方が楽なんじゃないかな?

 

胸が大きくてクビレがあって、顔のいい女を抱いてみたって、僕の美的プライドが砕かれるだけで、楽しくもなんとも無かった。でもさ、見た目も可愛かったけど、僕のことを一生懸命愛してくれた未熟な子供達からまとわり付かれてた時のが幸せだった。なんかさ、別種のものって思っていたいい女抱く幸せと、子供たちの未来に関われる幸せとが同じ1つの価値観に収束し始めている。

 

悪く言えば僕は随分雑になったのだろう。いい女を抱く幸せと子供たちの美しい未来を願う幸せとが同じベクトルにあるのは危険過ぎる。基本となるのが子供たちの未来だったら僕は犯罪者予備軍なのだけど、僕が言いたいのは、おっさんになって性的な欲求と子供たちを可愛いと思う気持ちとが一緒って言うんじゃなくて、若い頃にはどっちもって思ってたのが、どっちかありゃいいやって思えるようになったんじゃないじゃと思うのだ。

 

歳をとってさ、感覚が鈍くなったのは感じてる。でもその分ノイズに翻弄されなくなってきた。僕はきっと同時にいくつもの幸せを求められるほど器用ではなかったんだよ。

 

だからもっと幸せな関係を、その形を問わず求めてもいいのではないだろうか?

 

空きっ腹にアルコール入れて乗る電車で。隣のおっさんにイラつきつつ、遠くにいる綺麗なお姉さんが隣だったらという願いを理屈っぽくしてみましたw