幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

天皇のお気持ち

正直に言って、僕にとってはあまり関係のないお話しだった。

いや、もちろん日本国民であるところの僕にとっては、何かしらの影響を持つお言葉だったのだろうけど、要するに僕の生活が大きく変わるような変化ではない、ということだ。今はいないけど、たぶん僕の生活に大きな影響を与えるのは「彼女のお気持ち」の方が大きいのだと思う。

でもね、すごくいいお言葉だと思うんだ。夕飯食べながら、流れていたテレビで見ていたから、もしかすると聞き間違いかも知れないし、僕が都合よく解釈しているだけなのかもしれないのだけど、要するに生前退位の可能性を検討したいってことなんだよね?

でね、僕が一番感銘を受けたのは生前退位を考える理由の一つに、在位のままの死去による家族の負担について言及されたところだった。僕にとってはさ、象徴であって、遠い、それこそ雲の上のような存在の天皇だけど、愛子さんや眞子さんにとっては、お爺ちゃんなわけじゃない?

ぶっちゃけ過ぎて怖いことにならなきゃいいんだけど、結局僕ら一般国民にとってはさ、天皇って誰でもいいわけじゃない?象徴なんだしさ。もちろん血族であることが前提にはなっているのだろうけど、世界で最も歴史のある現存する王族であればさ、男系男子やら何やら小難しいこと抜きに、女性天皇だろうがなんだろうがいいと思うのね。どこかで見たけど、皇族の国事行為ってやばいくらいたくさんあるよ?そこらのブラック企業顔負けの労働時間だし、定年ないからね。収入もやっぱりそこそこあるけどさ、競馬とかパチンコとかできないし、居酒屋でへべれけに酔っぱらったり、綺麗なお姉さんいるお店にだって・・・行ってんのかな?行っちゃいけないってこともないんだろうけど、行ったらまぁ嘲笑天皇になっちゃう。でもまぁ自由に使えないってのは確かだろうし。年間3億円くらいの収入があるからって、じゃぁその生活を望むかって言われたら僕はとてもじゃないけど、望まないし、務まらない。

でね、思うのですよ、今回のお気持ちって私人としての明仁さんのお気持ちってことなんだろう。私人として家族を思い、そしてやがて自分と同じように象徴天皇として、その家族として公務や国事行為に奔走する家族たちを思えば、永い伝統と歴史の重圧に抗ってでも今日のお気持ちを述べて、自ら範となることを選ばれたのだと思う。

明日飢える心配のない不自由な生活の中で、千年以上続く家系の長として、国民の象徴として送る生活の中で、自らの尊厳を保ち他人に寛容であることは容易ではないと思う。まぁもちろんよりハードなのは、貧しくて不自由な生活なのだろうけど、それでもその不自由にはまだどこかにわずかでも自責の余地がある分だけ救いがあるのではないだろうか?天皇家の豊かで不自由な生活はこれっぽっちの自責の余地もなく、単に血がもたらす不自由だ。

その中で個人としてのお気持ちを発表されるのは大変勇気のいることだと思うし、強い愛情と意志がなければできないことだと思う。

僕は今日初めて象徴としてそのような人を天皇とする日本国民であることを誇りに思えた。もちろん昭和天皇のエピソードなんかを聞いても尊敬に値する人であったとは思うのだけど、やっぱリアルタイムに同じ時間を生きていて感動するとちょっと違うものなんだね。

 

あんまり行き過ぎないように感動しておこうと思う。

この延長線上にきっと特攻ってのがあったんだろうから。