えっと、別に真面目ぶっているわけではないのだけど、面白くもない文章になっちゃうのだけれども、相模原の件、続報が入って来て段々と犯人像が出てきている。それに比例して僕はどんどん興味を失ってゆく。
なんか、いろんな情報が出て来るたびに「あぁやっぱり」と言う感想が増えてゆく。
あ、犯人についてではないの。その報道のされ方。
基本的にテレビを見ない僕の言う報道はネットニュースになるのだけれど、ネットが普及してからと言うもの、テレビで報道されない真偽の定かでない情報が先走る。その多くがたぶんどうでもいい情報で、事件の背景や動機なんかが実しやかに語られる。
そしてしばらく経つとテレビが後追い報道し、そこに精神科医のコメントなんかをつける。鎮痛な面持のコメンテーターがありきたりの見解を述べて、そのころにはネットでは極論やとんでも話が盛り上がる。
やれ実はISのテロだとか?
戦闘訓練受けていただとか?
夜になれば出てくる新事実も少なくなり、犯行現場や犯人居住区でのコメントも取り切り半分くらいが精神科医やら動機にまつわる専門家の話になる。
でも、結局わからない。
なぜこんな犯罪が起きたのか。
僕らはそれらしい理由を見つけて自分自身を納得させたいのだろうけど、ここまでの事件となると僕にはわからないんだ。
不謹慎なのは重々承知の上で、例えば2,3人くらいなら、怒りに任せて殺めてしまうかも知れないと言うのを僕は想像することができる。でもたぶんそれも結果論としてそうなることは予想できても、それを意図して行動しても最初のひとりが死んでしまったら僕はそこでビビッてしまって、それを成し遂げる自信は全くと言っていいほどない。
人を横一列に並べてね。その人達の頭の位置にマシンガン据えてさ、引き金を引いて横に掃射したらきっと多くの人が死ぬ。その行動、身体の動きって意味だけど自体は特別な訓練などしなくてもできる。それを「水鉄砲だよ」と言われて水辺ではしゃぐ子どもたちに与えれば彼らにだってできるほどたやすい身体の動きだ。ただ、それによってその行動によってもたらす結果が死だとわかった瞬間に、その行動の難易度は異常に上がる。それでもそれをできてしまう状況というのが戦争なのだろう。
戦争には仮初ではあるけど正義がある。きっと犯人にも何か知らの正義があったのだろう。それでなければ返り血を浴びながら50名以上を刺して回るなんてできやしない。
犯人の正義を聞いたところで、納得なんてできるはずはないのだけれども・・・ね。
だからなのかはわからないけれど、僕らは翌朝にはいつものように、テレビが中継でお天気を伝え、スタジオからは引退してだらしない身体になった元野球選手が昨晩のナイター結果を分析しているのをこの事件を忘れたようにして見るんだと思う。
でね、朝の段階で僕が不謹慎だと思ったのは、実はこの事件で助かった人もいるんじゃないかなって想像してしまったからだ。一番ケアが必要になるのは被害者の家族なんだと思う。当たり前だけどね。今回の被害者たちが実際どんな生活を送っている人たちで、どんな施設なのかというのも具体的に知るわけではないのだけれど、きっと今回の被害者の家族の中には、悲しみが落ち着いたら少しほっとしてしまっている自分を責めるような人がいると思う。
僕はそう思ってしまった家族がいたとして、その人達が自分を責めないで欲しいと願うのだ。
とりあえず備忘録的に。