簡単に言ってしまえば、目的語があるかないかなんだけど、これが意外と理解されない。他動詞でもあり自動詞でもある動詞が多いのも原因なのだけど、それ以上に、僕らは普段言葉に対して、それほどの意識を持って使っていないからなのだろう。
主語のない文章ってのが日本語では割りと成立してしまうし、大人たちはあえて主語をぼやかして話す。あと、受け身と敬語もさ使用されるシチュエーションから判断しなきゃいけないから難しいらしい。でもそれもこれも、やっぱり主語と目的語の関係性が明確でないから発生するんだろうね。
芸人さんの仕事は「笑わす」ことで、「笑われる」こととは違うと思うの。もちろん笑いの素材として自分自身を使う場合は笑われることにはなるのだけど。すごく、理屈っぽいことを言えば、芸人さんがお客様に敬意を表して「笑われる」と言うのもありだろう。要するに、「笑う」と言うのを他動詞として使っても、いろんな解釈があって、たぶん仕事として「笑い」にかかわるとなれば、この主語と目的語の関係ってすごく重要だし、滑るってのはこの関係性が崩れている状態なんだと思う。
んで、この事は芸人さんの世界だけで通用するってもんじゃなくて、普段の我々にも言えることなんだと思う。
fun worksって言葉がある。
文法的な分析は割愛するけど、これを掲げながら、実際はボード連中の価値観の押し付けだったり、ポエムだったりすることが多い。でも実は、一番の問題は、主語が無いことなんではないかな?
誰が楽しむのか
誰にとって楽しいのか
そこに一人称で参加できているかいないかが大事な問題なんだと思う。
仕事が辛いものだなんて誰が決めた?
なんだってさやり過ぎれば飽きるし、近すぎたら見えなくなることだってあるさ。そんなときはきっと、その仕事ってね「おかしいな仕事」になってるんだと思うの。
笑われる仕事か
笑顔にする仕事か
自分の関わり方を見直すのも大事なんじゃない?