世代間の闘争というのはいつの時代にだってあったし、それがないと社会全体が澱むと思うのです。今は若干そんな感じがする。
テーゼがあって、アンチテーゼが出てきて、最終的にジンテーゼに落ち着く。対立して、互いの意見を洗い出して、妥協点に落ち着く。おおよそ上手く回っている仕組みの中で、プロブレムが解決されてゆけば、インシデントがプロブレムになってゆくような、キリの無い努力が為されて、仕組みは完成に近づいてゆく。その過程でかつてのアンチも体制に取り込んで、多くが、満足ではないけど不満でもない仕組みに落ち着く。
問題は誰が不満なのかだと思うの。
ご老人にお金を配ったじゃないですか?あれが象徴的だと思うのですよ。
かつての人口構成であれば、社会的に力を持っている老人・大人は数的には少数派のマイノリティだったけれども、最近は数的にもマジョリティになってる。だから、マジョリティの不満分子に手当てするんだと思うの。
一方、若者・子供は相対的にマイノリティになっている。
教育の技術的向上ってのもあるけど、今の子供たちって賢いしい、優しい。自己主張があっても、戦うのではなく調整しようとする。
尾崎豊が歌った歌は、今の子供たちにはきっと共感を得られない。彼は子供たちが戦いに、勝利に、あるいは変化を望んだ最後の世代の暑苦しい最後の言葉なんだと思う。
そのフレーズの一つ取りあげて、子供に悪影響だなんて言い始める社会の方が僕には子供たちにとって不幸な社会だと思うのだけど、どうなんだろうね?
子供たちが悪いことか良いことか考える前に答えを与えて覚えさせちゃう。僕にはそれが良いこととは思えないんだ。