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幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

おっさんである自覚

何の映画だったか、とても印象に残っている台詞がある。
若者と老人の会話なのだけど、
若者が聞く
「年をとっていいことは?」
老人は答える
「年をとって実と殻の区別がつくようになったこと。最悪のことは若い時のことを覚えていることだ」

おっさんの語る武勇伝。酒の席でこれほど迷惑なものはなかった。でも、最近わかって来ちゃった。おっさんにできるのは、説教かその代わりの教訓を含んだ武勇伝を語るくらいなんだ。

その昔、僕は「枯れたい」と願った時がある。武田鉄矢も言っていたことなんだけど、いわゆる「賢者モード」になったときの、自責の念から生まれる願い。世界平和だとかを真剣に願い、環境問題を憂い、大好きなあの子を女神のように崇めているのに、どうして僕は、深夜に親が寝静まった後にギルガメッシュナイトEXテレビを見てしまうのか?
抑え難い性衝動、何よりも蔑み憎む性犯罪者に自分もなってしまいはしないかと言う恐怖を理由に、自慰行為を正当化していた。

だけどそれも、事実を知るまでのホンの僅かな期間だった。セックスがそんな言うほどのもんじゃないって。

精神と肉体と。
どこからどこまでが体のの気持ち良さなんだろう?ただ、肉の喜びを感じるだけなら自慰行為で充分だ。それでも、人が異性を、同性もあるかもだけど、求めるのは、肉だけの問題ではないだろう。そこを同一視してはいけないと、気付くのに20代いっぱいかかった。

相手の存在そのものを抱く喜び。

ってな感じに、なんかを伝えようとすりゃ自分の体験織り混ぜて、少しでもかっこよく聞こえるように語るんだ。

思い出を多少脚色して語る僕はもはや紛うことなきおっさんだ。語るものが武勇伝ではないのだけれど。おっさんが何かを語る時、その出来事には大抵結果が既にある。もう変えようのない過去の出来事。それは写真がそうであるように、もう動かない、変わらない。
変わらないものを語って何をしたいのか?未来を、変えたいのだろう。自分の未来なのか?若い子達の未来か?恐らくどっちもだろう。

おっさんである自覚はある。だけど、きっとそれは消極的に、身も殻も区別のつかない子供じゃないし、かといって、変える未来が残されていないってほどに年老いてもいない。だからおっさんであるってね。

変えようと思う未来よりも、変えられない悔やむ過去が多くなればきっと人は老いるんだ。

20年前に、僕が毎日、ではなっかったけど通った高校のある駅で、20年前に僕が着ていたのと同じ制服を見て。