我輩は無職である
仕事はまだない・・・
いや、切ないw書いててすごく切なくなった。
ま、事実だから仕方ないのだけど。
そろそろ決まりそうな感じもしているし、無職を惨めと感じるほどに頑張ってもいないし、まだ打たれてもいない。それを自覚してしまっていることが今は一番のストレスだと言うとても恵まれている環境だと思う。
無職になったのは初めてではない。これまで転職を繰り返し、5社経験をしているのだけど、そのほとんどが切れ目無く仕事を見つけていた。しかし、前職に就いてからというもの、その業務の性質上、働きながらの転職活動はほとんどできず、残念ながら前回も無職期間が発生してしまった。でも前回と違うのは、とりあえず生活できなくなることが無いと言う点は恵まれている。ただ、中年引き篭もりになってしまいそうで怖くはあるのだけど・・・
さて、久々の無職になって思うことがある。
無職期間に人に会うと必ずと言って良いほど言われるのが
「もし今何かやったら、『無職(37)』って報道されるね」
と言うものだ。
それはその通りなのだけれども、無職になったらみんな言われるのだろうか?それとも僕だけ?僕だけだったら僕はそんなに犯罪係数高いのだろうか?(最近見たアニメに影響されていますw)
まぁそれはさておき、無職に限らず人を表すときにその人の職業と言うのは大事なことなんだろうか?
自分が何者であるか、そんなものを問われたときもたぶん困っちゃうんだろうな。
職業がその人のすべてを表すわけではないと思うのだけど、他人にその質問をするとき僕もきっと頭に描いているのはその人の職業なんだろうな。
職業のない僕は何者なんだろうか?
未だに元生徒からは「先生」って呼ばれるし、元の職場の後輩なんかからはその当時の役職で呼ばれる。呼びやすいからなんだろうけどね。
と考えてみたらいろいろと思うことがあった。
「風の谷のナウシカ」のエピソードでね、あ、漫画の方なんだけど、ナウシカが巨神兵に名前を付けた途端に知能があがり、会話が始まるシーンがあったと思うのですけど、ある意味象徴的だなぁと思うのです。
僕らは固有名詞をもらって、それ自体はもらった段階ではきっとからっぽの器のようなもので、年を重ねていろいろ経験してゆく上でその器にいろいろ入れてその名前に内容が入っていって、いつしか名前に身が入ってゆくようなイメージ。でもそのときに僕らの中に入ってくる情報っていうのはたぶんインデックス化されているんだよね。インデックス化された情報っていうのは、その存在の全体ではなくて、その存在を言語化された情報になっちゃうんだと思う。で、自分自身を振り返るときも出てくるのはたぶんそんなインデックス化された情報で、それらを繋いで自分自身を把握するんだろうけど、でもあるときから、その名前と言うか自分自身を自分以外の名前に近づけてゆく努力を始める。それは憧れの人だったり、職業名だったりするんだろうけど。巨神兵が見せたのはこっちの動きなんだろうなぁ。
今、僕は職業を探しているのだけど、同時に自分自身がなるものを探しているのだろうとも思う。じゃ僕は何になりたいのかと言うと、わからない。けどわからないなりに、いろいろ経験していきたいなぁと思う。
猫のように酒に溺れて、溺れ死なない程度にフラフラと検討してみよう。