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幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

○○の問題

心と気持ちと精神

言葉の定義を厳密にすると全部違うものなんでしょうけど、ここは代替可能なものとして、それぞれを

「○○の問題」

って言うところに勝手にあてはめてください。

 

とりあえず、今僕は実家で暇を持て余してこのエントリを書いています。いや、暇って程暇ではないのですが、他のことができるだけの時間はない状態なのです。3日まではお休みなんですけどね。でも実は休んでもいられず、その間も情報収集やらメンタルケアやらを考えていたりします。

さて、ここ2日で書いたエントリの数は結構な数になり、たぶんそのほとんどが電車の中で書いたものになります。僕のタイピングスピードは下手すると僕がしゃべるよりも早く、電車の中でちょっとした注目を集めてしまいました。僕にとってこのタイピングスピードはもう「普通のこと」で、むしろこのスピードで打てないことが不思議なくらいなのですが、おそらく多くの人にとってはこのタイピングスピードは「異常なスピード」と言えるのでしょう。

これって僕の能力なのでしょうか?

僕の指や手がPCのキーボードのサイズにマッチしていて、そのために僕は他の人に比べてタイピングにおいて有利なのでしょうか?

もしかすると、その可能性もあるんですが、でも僕はそう思っておらず、これってITC業界にいたときに、あるいは大学時代などにはまったチャットで身に着けた能力だと思うんです。タイピング自体の精度は、ご存知かも知れませんが僕はブログをろくすっぽ推敲もせず投稿してしまうので、誤字脱字が多いと思います。タイピングは早いのですが、ミスタイプも多く、結果として単位時間あたりの文字数はあんまり多くないのかもおしれません。タイピング練習ソフトなんて昔ありましたけど、決してよいスコアは取れませんでした。

でも、早いことは早いのは間違いないと思うんです。

で、これが僕の生まれながらの能力かっていうとそうじゃありません。って言うかそんな能力いりませんw

要するに僕の性格なんじゃないでしょうか。

おそらく僕は意外と短気でじっくり長いことかけてやることは苦手としているのだと思います。そしてできるだけ何事も早めに終わらしてしまいたいタイプ。ゆっくりと間違うことなく正確にタイプすることよりも、一通りタイプして後から見直す方がしっくりと来るんでしょうね。その結果僕のタイピングスピードは正確性を置き去りにしてどんどん早くなっていったんでしょう。

これって人の持ついろんな能力についても同じことが言えるような気がしています。

能力、できるできないって言う境目はきっとその人の「○○の問題」であって資質がどうのってことじゃない気がします。

僕はよく子供たちにこんなことを言います。

「ほら、空飛んでみ!」

「って言われてさ、羽ばたく練習する奴はいないよね?それって人間には羽がないから羽ばたいてみても飛べないって思ってるんだよ。でも、それでも『空を飛びたい』って思った人たちがさ、気球やら飛行船やら飛行機やらを発明したんだろうな」

要するに、どれだけ強いWantかってことだと思います。

僕のタイピングスピードの源泉には、今じゃ誰にも信じてもらえませんが、僕が元来は無口な人間であったことに由来します。こうして数多くのエントリをあげているように、僕は何かしらを人に発信したり、コミュニケーションをとるのが大好きな癖して臆病だし、「昭和の男像」の呪縛もあり、あまりお話するのが得意ではありませんでした。むしろ苦手で、それを避けていたこともあります。カナダへ行ってからですかね、変わったのって。日本における「気付きと察し」の文化、不文律の共通感覚、そういったものがない中では表現しないことは存在しないことと同じであるって体験をしてから、察しや気付きにあまり期待しなくなった。あるいは、察しや気付きを誘発するためにもそのきっかけを自分で作れるようになろうと思ったんでしょう。

要するに、僕らが獲得する能力ってのはどれだけ強いWantがあるかによって決まるのではないかと思うのです。すごく嫌な話になりますが、ストレス耐性だとかってのも、要するにその人がそれまでにどれだけのストレスに対応できてきたかってことで、筋肉の超回復のようにより強度を増してゆくことで強くなるものではなくて、それまでの経験の結果としてストレス下で自我を保持できる手段をどれだけ身につけているかって言うことなんでしょう。

つまりWantがなければきっと何も始まらない。

ただこのWantの実現方法はじっくり考慮しないといけない。

えげつない話になりますが、性的なWantがあって、それを満たす方法はいくらでもあるでしょう。ただね、この性的なWantが純粋に性的な欲求かと言うとかなり微妙だと思うのです。たとえば、それを満たす相手が限定的な場合、それって純粋な性欲ではないでしょうし、逆に純粋な性欲であればそんなもん自分でどうにかすりゃいいことでしょう。

僕らの持つWantは残念ながら純粋なものであることはあまりありません。僕らの思い描くWantはいくつものWantが複雑に絡み合い、分離不可能なほどにごちゃごちゃしていて、時に相反する欲求が同居してしまっていることもあるでしょう。そのために、それを実現するための手段に制約がかかり、僕らのWantは実現が難しいように思えるのではないでしょうか?

この仮定を僕は検証すべく、今年は自分のWantをまず単純化し、分離し、ひとつひとつ順番に片付けられるものは片付けてゆこうかと思っています。

その結果については、このブログにて随時ご報告いたします!