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幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

おひさまの詩

予報に反して、今日は1日良い天気だった。
僕は言うと、長らく使っていたiphoneの調子が悪くなり、andoroid端末で代替中なのでその操作の学習とデータバックアップに時間を使っている。
ん~変換はキーボードソフトの差なんだろうけど、デフォルトはiphoneのが.賢いような気がする。まだ.学習が十分でないのもあるんだろうけどね。
久々の片手操作はiphoneplusがどれ程でかかったのかと驚くばかりだ。

iphoneについて
そのデザインや機能性は相変わらず素晴らしいと思う。でもね、なんかこれからはMacPCみたいになってく予感がビンビンに感じられる。

Macは僕の最初に買ったパソコンで,今でもその型番を覚えている。当時は、音楽をやりたかったのでMacを選んだのだけど、僕の性格もあったのかもしれない。他人と同じってのが嫌だった。考えてみると僕はずっとコンピュータに憧れていた。PC98やFMTOWNS,x6800とか、小学生の頃に憧れたパソコンがあった。もちろん切っ掛けはゲームだったと思うのだけど、コンピュータと言う「なんかすごいもの」への憧れだったかもしれない。
いつの間にか、「すごいもの」は当たり前のものになって、求められるのが機能よりもデザインになってくるほどに、技術的な差はなくなって,いつしかメーカーはアッセンブラーになってしまった。

コンピュータの発展に対して僕は歓迎する立場をとるのだけど、ハッキリ言うと恐怖も抱いている。

コスト意識と言うことが、人生のあらゆるフェーズで言われるようになって,走ることに支障の出る改造を施した暴走族も,金閣寺みたいな下品な豪華さを持つ建物も造られず、数値で比較可能な世界の住人に僕らはなっている。

機械学習がより人に近い判断が出来るようになってきたとは言え,人を人たらしめる「無駄」を作ることができるのだろうか?恐らく無理だろう。AIが夢を見ることができたとしても、無駄や行きすぎを作れまい。
でも,もはや人はそういったものを求めなくなってしまったのかもしれない。

コンピュータが人に近づいて来ているだけでなく、もしかすると人もコンピュータに近づいているんではないだろうか。

かつてMacスパルタカスと言う名の当時はオーバースペックで美しいコンセプトPCを作っていた。今はもうそう言うPCは。作られないのだろうか?

お日様は日々昇り沈む。
飽きもせずただ延々と繰り返し。
僕らの人生もそうなのかもしれない。
でも僕らはどこかへ行きたいんだ。
ただいまは、その行き先を見失ってはいないか?

な~んて考えた。