幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

what I can do

※恥ずかしい自分語りです。

「人を救いたい」

なんて、恥ずかしい事を本気で思ってる。
 
でも僕にできる事は微微たるもので、駅前で募金したり、コンビニで釣り銭募金したり、落ちてるゴミ拾ったり、せいぜいそんくらいのもの。
 
それらはもはや、癖のようなもんで、それをする事に抵抗もなければ、したところで満足感もない。
 
自分自身さえ救えてない僕が、人を救いたいなんて思う事がそもそも烏滸がましいのかもしれない。僕が人を救いたいと願うのは、そうする事でしか僕は自分がそこにいて良いと感じられないからだ。
 
「役に立たなければいけない」
それが第一の僕の良くない思い込み。
何事にも意味がなくてはならない。
不可逆な時間軸にそってあらゆるものは何かしらの目的を達成するために組み上げられなければならない。僕自身さえも、その何かしらの目的を達成するためのパーツである。
そう思っていた。
明確な概念ではないけど、いわゆる「神」と呼ばれるような存在の計画に僕の、僕らの存在は組み込まれている。だから僕もここにいるために役に立たねばならない。
計画の全体像もわからない癖に、自分勝手に「こうだろう」と思い込んで、計画の一助になろうとしている。これが第二の僕の良くない思い込み。
 
そして、僕はこの自分の思い込みに自分の人生を賭けて反発している。
定められたものは何もない。
自分の未来や価値は自分で決める。
何にも支配されない自由な人生を歩んでやる。
そのためにだったら何でもしてやる。
他人からどう思われようとも、僕は僕だ。
そう、アドラーの「嫌われる勇気」、あの考え方に近い。
 
でも、寂しい。
嫌われたくない。
誰からも好かれていたい。
 
だから人を救いたい。
僕がそこにいていい理由が欲しい。
 
そして、たぶんこれが僕の良くない思い込みのその3.
 
最近、ちょっとずつ自分が弱くなっている。
だから認められるようになってきた。
別にきっと僕は人を救いたいんじゃない。
そうすることで、自分を救いたい。
いや、救ってもらいたいのかもしれない。
 
もしかしたら、ただ、無条件に
そう、無条件に抱きしめてくれて、頭を撫でてもらいたいだけなのかもしれない。
 
困った36歳児だ。