幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

鬱憤

今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」

僕は、サボリーマンである。

ここ2ヶ月での記事数を見ていただくとわかるが、それなりの数だ。

(クオリティが低いからねぇ・・・この程度ならと思われるかもしれないけど、実は下書きはこの倍近くあるw)

仕事が嫌いなわけではないけど、暇なときは暇な仕事。

やることは無尽蔵にあるけど、やらなきゃいけないことはそれほど多くはない。

だから、やらなきゃいけないことが少ないときは基本サボっている。

業務の最小化。そして最大の利益を狙ったとても素晴らしい考え方である(?)

 

僕の中で、ひとつの確信があるのだ。「人生なるようになる」。

だから僕は無理はしたくない。

人は「こうしたい」と言う欲から努力をする。努力と言う言葉の定義を「目的を達成するために行う勤め」と言うならば、ある意味でそれは目的を達成するまで不断の行動になるのだろうけど、僕の場合、仕事上での目的は実は既に果たされてしまっているので何か追加の行動を起こすと言う意味での努力するインセンティブは「お金」になってしまう。そうなってしまうと、それは「努力」ではなく「無理」していることになるんじゃないだろうか?

お金も大好きだし、いやむしろお金が大好きだ。

でも、お金は僕にとって人生の目的ではない。

では仕事が人生の目的かと言えば、今はそうとも言えない。今の形での仕事は、と言うべきだと思うのだけど、今の仕事のビジネスモデルは崩壊している。ま、そのことについては、後日別に書くつもりなのだけれど・・・。

最初は、「お金ももらえてやりたいことできている最高の仕事だ」なんて思っていたのだけど、人間は欲深い。より純粋に「やりたいこと」を追求してゆくと、お金を稼ぐ目的で行動している部分が不純なような気がしてしまう。そこで使う言葉の多くが、本来持っている輝きではなく、そう誰にでも魅力あるようにと願って作られたけど、いろんな思想が入ってしまって不細工なキメラのようになってしまった。

 

なんて言う、誰にも聞いてもらえないような鬱憤があったりするわけじゃないですか?そう言うのを友達とかに聞いてもらえない訳じゃないし、同業者だったら結構同意してくれると思うんですけど、でもたぶんそれを口に出してしまうと何かしらの行動を求められてしまう。だから、誰とも知れぬ人に読んでもらえるブログというのは、こういう鬱憤を書くには最適だと思うんですよね。

もちろんブログを書く目的は鬱憤晴らしだけではありません。

僕の短気な性格から、僕の書く文章は時々、詩っぽくなります。

それは、具体的なことを省いて、でも気持ちを言葉で表したくて、そして共有してもらえたらって願って書くと、それっぽくなる。そして、それを読んでくれた方がどこかしかで、共感してくれたりしてる?と思い込んで書いています。

そしてさらに言えば、やっぱりお金。

今の仕事である程度、目的は果たせてしまっているのですが、本当に目的を果たそうと思ったら、僕は独立しなければ難しいと考えています。貯金があるわけでもなし、良い給料というわけでもない僕が独立しやりたいことを、目的を果たそうとするには何はともあれお金が必要。なので、少しでもプラスになれば・・・なんて思っていたりもします。あ・・・思いついた!

フォスターチルドレンみたいなのやってみよう。

善意に完全に乗っかるんじゃなくて、少なくとも多少なりとも投資家に還元できるフォスターチルドレン。あ、人身売買に近くなっちゃうか?

ん~僕の目指すところは、今の仕事を、お金目的じゃなくやることなのです。

たぶんそれは既に形あるスキームで、要は僕に時間があればそこに乗っかるだけでいいのかも知れないけど、それでは影響範囲が限られる・・・

ん~なんだ?僕は政治家にでもなりたいのかな?

ざっくりと、言ってしまうと、僕はこの世の中から不幸を消したい。

幸不幸が相対的なものであることはわかっている。でもね、僕の力でどうにかできる不幸をそのままにしておきたくはないのです。だからと言って、そのために自分自身が不幸になるのも間違っている。

そうか、僕は黄金に輝き続ける「幸福の王子様」になりたいのだ。

そのために死ぬツバメもいらない。

 

って、メタボなおっさんが王子様目指すなんてねw

 

と言うわけで近々お金稼げる仕事に転職しようと検討しています。

お金稼げて、サボれる仕事あったら教えてくださいw