幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

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なんか気の利いたことを書こうとしている。

でも、何を書いたら良いやら・・・

久々に頭を使ったので、頭から湯気が出てきそうです。

 

今日はある子の悩みを聞いた。

きっかけは体育の授業。

少しぽっちゃりしているその子は体育が嫌いだ。単位制の高校に通い始めて、「授業を自分で選べる」と言うところに惹かれていたのに、1年生のうちはほとんど選択できず、大嫌いな体育も受けなければいけないのが苦痛だと言う。

「ちゃんと調べないから・・・」なんて自分を責めてしまっている。

その子の母親も含め多くの大人たちが

「体育くらいいいじゃない」と言うらしい。

話をよくよく聞いていると、特にお母さんの反応が酷いらしい。

「ほとんど話しも聞いてくれないんです・・・」と言うことだった。

話がお母さんの件になると、彼女の話は止まらなくなった。

日常的にいろいろと不満を持っていたらしく、出るわ出るわで悪口の大洪水が起こった。普段はとてもいい子なのに、どこぞの本職の人かってくらいの罵詈雑言。

話を整理してゆくと、体育の授業は嫌いだけど、体育の授業だけが問題ではないらしい。本当に嫌いな体育の授業の相談をお母さんが取り合ってくれなかったのが悲しく、長年溜まった鬱憤が噴出していたようだ。

良くある話、と片付けるのは容易い。職業上の責務からも、外れてはいる。

他の大人同様に突き放すのもある意味正解なのかも知れない。

でもまぁ僕がその子の話を聞いて、それだけで、彼女が多少なりとも救われるのなら僕の時間でよければいくらでも提供しよう。だって電車に飛び込んだら痛いかな?とか言われたら、たとえ冗談でも、いや冗談だったら許せないか、とにかく、僕は聞くことにした。

そして僕は気づいた。

僕らが恐れたり、怒ったりすることって、今まさに起こっていることではないんだ。

僕らは予想して恐れている。

もちろん恐怖を感じている時はいつだって「今」なんだけど、恐れの対象は未来のことだ。だから恐れることができる。怒ることができる。

怒ることについては過去のことだったりもするけど、でも実は怒っているというのも今現実に怒る対象が発生していたら、怒るよりも先に行動していることだろう。

恐れは、つまり未来に発生し得る避けたい状況が避けられそうにないときに感じる感情ではないだろうか。だとしたら恐怖というものは、過去の経験から予測される未来によって引き起こされるものと言えるのではないだろうか。だとすれば、恐怖を克服するには、過去の経験の再解釈が必要になるのではないだろうか?

確か、北斗の拳だったかな?

ラオウケンシロウが継承者争いをしていたときに、師父リュウケンの言った言葉。

野生のトラがラオウに接したときは恐れから飛び掛ったが、ケンシロウの時には大人しくしていた。それを見たラオウは「それみたことか、ケンシロウにはトラでさえ敵と看做さない」的なこと言うのだが、師父リュウケンは「違う、ケンシロウに対してトラは死を覚悟した。死を避けられぬものと悟ったがゆえに大人しかったのだ」みたいなことを言っていたけど、恐怖や恐れの本質とはこういうものなのだろう。

僕は他人をイラつかせるほど恐怖心が薄い。

逆に他人には理解できないことを僕は恐れるらしい。

人並みにいろいろ経験もしてるんだけどね、僕の過去の体験の解釈がたぶん他の人と違った方向に向いているのかなぁ?

 

ん~頭が回らない><

よぉ~しこういうときはお酒飲もうw