トピック「大阪都構想」について
まず、先のエントリにも書いたのですが、僕は大阪に住んでいるわけではないので、結果についてどうこう言うつもりはありませんし、政策等についての批判もできる立場ではないと思うので、概観を抽象的な内容で書かせていただきます。
世代間闘争?
今回の都構想については、多くの人が「世代間」の賛否を気にされている。実際に僕が知る限りでの今回の争点は「二重行政による無駄の排除」「排除された無駄によって財政の健全化」なのではないかと思っていたのだけど、それが世代によって賛否をわける原因になるのだろうか?
どこを削るか?削る対象が高齢世代への既にあるサービスであれば当然高齢世代からの反対を得ることになる。一方で若年世代への福祉を厚くするのであれば当然若年世代からの支持を取り付けることになる。
数字の面での謎はこちらの記事に譲るとして
世代間で争わなくてはならない理由があるのだろうか?
有限なリソースの振り分けを考えた時に、多くの人が自分の取り分を大きくしたいと願うだろう。それを世代別に区分した場合には当然のことながら世代別の争いが生まれる。しかし、思うのだけど、生活保護で暮らしている老人をさらに追い詰めてまでいい暮らしをしたいと願う若い世代はいるのだろうか?もしいるとしたら悲しいことだ。そのような人が少ないことを前提に話を進めさせてもらうが、若年層が反発や敵意を持ってしまうのは「持ってるのに使わない高齢世代」なのではないだろうか。
若年世代の貧困率が高くなっている中で、若者たちは言われる「草食化」「悟り世代」「ゆとり世代」「夢がない」etc
そりゃまぁそんなこと言われりゃいい気分はしないよね。でも本当にそんなことを高齢世代が言っているのだろうか?たぶん言ってない。言っているのはマスコミだけ。
叩く対象がなければ作ればいいじゃん
そんな声が聞こえてきそうだ。
若者と大人の闘争はいつだってあって然るべきものだった。そうやって新しい価値観が生まれてゆく。フォークソングが不良だった時代もあれば、ロックが悪魔だと言われた時代もあり、でもデスメタルは何も言われない。言われているのかな?と言うかそこまで流行っていないのか。とにかく、これまで起きていた闘争は文化的あるいは思想的闘争であったように思うけど、最近の闘争は経済的闘争になっているんじゃないだろうか。同じ土俵で同じレベルで戦ってしまっている。でもさ、基本的に大人と子供は分かり合えないもんなんだよ。だって前提としているものが違うんだもん。
ブラック企業の議論もそうだけど、週6日働くのが当たり前だった世代から見たら今の世代が弱弱しいものに見えてくるだろう。でも週5日の学校しか知らない世代からしたら週に6日も働くのはブラックにしか思えない。
それって前提条件や経験が違うのだから差があって当然なんだけど、それを相互に煽って攻撃的な論調を作り上げる。相互理解を求めるのではなく、互いに相手を殲滅することを考えてしまう。
大人たちは子供のために良かれと思った環境を作ったはずなのに、その環境で育った子供たちに落胆する。一方で子供たちは大人たちが作った環境に不満を持ちつつ育ち、育ったあげく親の世代のせいにする。
思春期の子供と親の関係みたいだ。
人間はもっと大人にならないといけないと思う。