幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

学歴社会

学歴がその人の能力の証明になったのはいつごろまでなのだろうか?

子供のころ、ただ漠然と「勉強できることはすごいこと」と思っていたけど、学歴に対する憧れはなかった。と言うよりもむしろ蔑んでいた。でも実際自分が大学受験するって時になるとランクが気になって、偏差値が気になって、少しでも「良いところ」へ入ろうとしていた。

そして、社会に出てみて思ったの。やっぱり学歴って関係ないなって。

高校なんかはさ、だいたい同じような学力の子、そして悲しいけど事実、同じような家庭環境の子が集まって来る。だから、その文化というか雰囲気というのも似たような子が多かったりしてた。ってのも僕が私立高校へ通ったからなのかも知れない。で、大学へ行くと、やっぱり傾向は一緒だよね。似たような環境の子供たちが多く集まってくる。そんな時代にアルバイトとかでまったく違う生育環境で生きてきた人たちと出会うと、学校の友達がひどく子供っぽく思えたり、バカみたいに見えた。

そして社会に出てみると、いろんな来歴の人がいて、学歴もいろいろな人がいた。だからスリリングで面白かった。いいとこの大学出ている人であっても使えない奴は使えないし、高校も怪しいって言っているすごい人もいる。要するに、学歴だけで人の「できるできない」は判断できないんだ。

そりゃそうだよね、大学全入の時代とかって言われて久しいし、大学で学んだことが社会で役に立つ業界の方が珍しい。

それでも企業は学歴を大事にする。社会人になってわかったのは、企業は学歴で能力の判断をしているのではなくて、くだらない勉強を文句言わずにどれだけできた子かを見ているんじゃないだろうか?その仕事の意義を考えることもなく、唯々諾々と言われたことに従える素養を受験勉強をコツコツできた人に求めているのではないだろうか?

 あとは文化かな?やっぱり同じような環境に育っていれば同じような価値観を持ちやすい。価値観が近しい者同士が集まった方が共同体としてはうまくいくしね。でも、そうやって集まった画一的なエリートたちはマニュアルがないと非常に弱い。

僕らの父親の世代、60~70代のエリートたちとは違う。60~70代のエリートは本当のエリート。能力が高く、勉強ができるだけじゃない頭のいい人が多い。でも同時にその意識が強すぎるのかな?だからその後輩たちにも自分達と同じものを求めた。で、その判断基準が学歴だったんだろうね。でも、もはや大学への進学が示すものはそのご家庭がどれほど裕福だったかってところだろう。

40~50代の世代は本当に大変だったと思う。本当のエリートたちが求める大学卒業の基準を満たそうと必死になって頑張った世代。だからきっと「勉強できる人」が多い世代だと思う。残念ながら、勉強ができるのと頭の良さは違う。

そして20~30代はねぇ・・・学歴社会に対する信頼感が落ちてきた時代。だから自分達自身でも大学卒業していることで自信を持てるわけでもないし、実際している仕事も大学卒業を前提にしていない仕事って人も多いんじゃないだろうか。

今はもう大学卒業ってことに価値を見出すことができないからねSPIとかじゃなくてもっと別の観点で人を選ぶ必要あるんじゃないかなぁ?SPIみたいな対策しやすいものを入社試験で使っている限り、これまでとあまり変わらないと思うよ。