幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

グローバリズムの功罪

なんかベタなタイトルつけちゃいましたが、備忘録的にね。

 

グローバリズムってのはつまり、世界を均質化させる働きで、そのことによって却って各国でナショナリズムが台頭してきている。経済の面ではより差が出づらくなって、パソコンがそうだったけど、どのメーカーも同じようなスペックの商品しか出せなくなって、汎用性の高さが要求されるものであればあるほど似たような商品になり、結局は価格競争となり、やがて多くのメーカーがパソコン市場から退場して行った。つまり「モノに差が出なくなった社会」になったのだと思う。

AppleがiPhoneiPodで取った戦略は謂わば従来のソフトウェア、ハードウェアを売るのではなく、継続的なサービスを自前のデバイスでパッケージして商品化したってところが革新的だったんだと思う。そして、それは消費者に迎合するのではなく、新しい価値の提案で、市場に受け入れられると瞬く間に世界に広がってゆくのはグローバリズムの恩恵だろう。

 また、飽きっぽい消費者たちに振り回されると言うのもあって、MixiやDNAがいい例ではないかと思う。ある種の社会インフラになりつつあるLineもいつ何時その時を迎えるかは定かではないが、代替可能なサービスが提供されている状況であればすぐにでも取って代わられる可能性は否定できない。

 そのような状況下では、企業は先行者利益を狙うよりは、ある程度の収益が見込め、かつ場合によっては寡占状態になれる「後追い」の商品開発を行うインセンティブが高まるのも致し方ない事なのかもしれない。

 これらの、短期間での商品・サービスの流行衰退は、グローバリズムの浸透により企業のバックヤードが共通化されたこともその理由のひとつではないだろうか。アメリカSOX法成立後に各国で会計基準の統一が図られるのと同時に、コンプライアンスなどと言われ始め、利益を追求する他にCSRなど、企業は社会に対する責任を負うようになった。まだまだ細かい部分では大いに差のある領域ではあるが、それでも多くのバックヤード業務は外注可能なものとなっており、同じ業界のライバル企業が同じバックヤードアウトソーサーによって支えられているという状況も生まれるだろう。バックヤードの組織や仕組みは、直接的にはその企業のサービスや商品に影響を与えることは少ないが、そこで働く社員の「考え方」への影響は非常に大きい。同じバックヤードシステムであれば、それらを使う社員たちの思考法は似たようなものになってくるのも避けられないことなのではないだろうか。

それが、今度は労働市場における価格競争を引き起こし、多くの製造業が日本より海外へ移転していった。しかし、移転していった先の中国などでも同じようなことが発生し、輸送コストなどを考えてみればより市場に近い場所での製造の方が安くあがる事態も発生し、祖国回帰の傾向が始まっている。

結局のところ、数字だけを追ってゆくと恐らくは振り回されることになる。

企業は失敗を恐れずに、いや、日本人は失敗を恐れずに、新しい価値を提案できるような働き方を志してゆかなければ、不安定な数字に振り回されて仕事に対する忠誠心を失ってゆくのではないか。

 

と、ちょっと小難しいことを考えてみた。