幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

教育のこれから

教育基本法第一条

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 

ニートが世代を限定せずに59万人いる日本の教育は失敗しているんでしょうか?

生活保護を受けていらっしゃる方が218万人。

医療機関にかかっている精神的な病の人が300万人。

 

ん~失敗してるんですね。

「個人の価値を尊び」と言う点にフォーカスしちゃったら、もうたぶんこの通りに育った人なんてほとんどいないんじゃないでしょうか?

そか!「期して」だから結果は問わないんですね!

でも、本当に「期して」教育しているんでしょうか?

次代を担う子供に対する教育って非常に重要なことだと思います。

でも、大人が子供たちに教えてあげられることって、自分が経験してきたことじゃないですか?で、素直ないい子ってのは大人のコピーみたいな子でしょ?それじゃいつまでたっても変わらないですよね。むしろ、問題児にこそ期待しちゃう。

ダーウィンの進化論で言えば、突然変異が進化には必要なわけで。

大人が想定していたこと以外のことがきっと進化にあたるんではないかと思うんです。

価値観の多様性を受け入れられる土壌ってのは恐らく子供のころに作られるものなんではないかと思いますが、現在の学校制度って残念ながらそれには不向きで、個性尊重なんてお題目にしかなってません。もちろん社会生活を送る上で必要最低限の知識や共通感覚は必要です。でもそれらを得られるはずの技術系教科がないがしろにされていて、所謂「5教科」と言われる、演算、理解、解釈、記憶を重視した科目ばかりが尊重されています。子供たちをコンピュータやWikiみたいな演算装置や記憶装置のように鍛え上げているようにしか思えません。

もちろん、社会が成長してゆくことで、求められるものが変化してきた結果だと言うのはわかりますが、それは子供たちをコンピュータのようにすることだったんでしょうか?

以前から疑問に思っていたことがあります。

大学の存在です。

大学って教育機関なのでしょうか?研究機関なのでしょうか?

いや、最近はそのどちらでもなく、単に職業訓練期間を提供する、モラトリアムな子供たちの受け入れ先になっていませんか?

大学で学んだことを社会に出て活かすのは至難の業です。なぜなら大学で教えられている内容と実際の社会で起きていることの間には大きな格差があるからです。それでもなお、大学へ進むことで大手の企業へ入り易くなる傾向は変わりません。大手の企業が有名大学出身者に何を求めているかと言えば、有名大学へ入れるだけの学習能力と、有名大学へ入ろうとする従順に飼いならされた価値観を歓迎しているのではないでしょうか?

それでも大学へ進学する価値があると言えるのでしょうか?

Sharpさんが中小企業になりそうな昨今。社会の変革に応じて教育も変わっていかなければならないと思うのですが、いかがなものでしょうか?