ベンサムの罪は幸福を量的に測ろうとしたところ
フロイトの巧は人の精神を力学的に解釈しようとしたところ
どちらも似たようなことをしているのだけど、決定的な違いがある
ベンサムは物差しを作ろうとした。
フロイトは関係性を明らかにしようとした。
その違い。
最大多数の最大幸福。これが実現されるとき、誰も幸福になれるものはいない。
幸福そうに見える世間ができあがるだけだ。
世間に組み入れられる個々の人間は、どこかしか不満を抱えてしまう。
初めから存在しないものなら欲しがらないのに、その存在を期待させてしまうから。
形ばかり、外側ばかり繕ってみても本当の幸福にはたどり着けない。
だから不幸な人々を探してしまう。自分よりも不幸な人を見つけることで、自分はまだ幸福だって思えるから。
あれ?これってもしかして、今の日本なのかな?