幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

卵が先か鶏が先か

 結論:どっちでもいい。

 

うん。どっちでもいいですね。別に。

 

それでもあえて、仕事をさぼって貴重な時間を使って記事にしているのは、この問題に含まれるすり替えについて書きたかったのです。因果律における原因を追究しているようでいて、実は単純に責任の所在をはぐらかしてしまう用途に使われているようで・・・

 

本来この問いって

「進化において」と言う前置きが付くはずなんですよね。

で、恐らくはその答えは既に出ていて、現在、この問いは堂々巡りに陥る議論の例えに使われます。あるいは水掛け論と言っていいのかもしれません。だから答えはどっちでもいいんです。

 

結局のところ、因果関係にあるはずのものが直線的ではなく、ウロボロスのように連関してしまっている状態を表すものですよね。

わかり易いのが負の連鎖でしょうか。どっちが悪いとか、そういう問題。

単一の事件であればきっとどっちが悪いというのは当事者同士においては明瞭なのだと思います。

ただ、悪いとされた側にも理由があって、「誰でも良かった」なんて言う犯罪者多いですけど、実際は誰でもいいはずないんです。そこに選ばれてしまった側の失点があるわけではないのですが、負の行為を始めてしまう場合でも、何でもそうですけど、その行為を行う際に思慮していれば何かしら目的を果たす手段に過ぎなかったはずです。その目的を果たす方法として間違いだったり他人に迷惑になったりする手段を取ってしまったと言うことなんだと思います。

 

そこで、その非に気づき反省できるのであればいいのですが、反省できない場合にこういう水掛け論が発生するんでしょう。

卵が先でも、鶏が先でも、どっちでもいいけど、その連関の中で自分の取った行為には責任を持つこと。自分だけが正しいと思い込まないことって重要なことだと思います。

 

と思ったんですよ、ちょっとだけね、そしたら書きたくなってしまって・・・

 

真面目に仕事します。w