語れるほど知りはしないのかも知れないのですが、すごいなぁと思って書き始めてみる。
つい先日この本を読んだ。
電子書籍で読んだ。なんかiphone6Plusにしてから初めて買った電子書籍としては勇気が要ったんだけど、読んでみたら大満足でした。
そもそもこの本を買ったのも、どこかのブログ記事からだったかな?
そのどこに惹かれたかと言うと、「自覚ある人」なんだなぁと言うところと、苦しんでいる人だからってところかな。完全無欠なハッピーなお話なんてきっと喜ばれない。悲しいことだけど。どこか人は自分の苦しみと似たものを持っている人の話に惹かれるのだと思う。
マツコデラックスさんが抱えている苦しみはセクシャリティにおけるマイノリティであることではなく、そうでありながらも「息子」や他の社会的立場を全うしようとしている部分なのだと思う。
実は僕にはゲイだとかホモの分類がいまいちよくわかってないので、調べてみた。
「ホモ・ゲイ」は厳密には同性同士で好き合うこと全般を指し、特に男性の同性愛者に限った言葉ではないらしい。マツコさんは自身を「女装オカマ」と言っていたけど、女性の格好をする同性愛者ということなのだろう。
セクシャリティと言うのが、いわゆる生物としての性だとして、ジェンダーは社会における性というものだと僕は認識している。(違ってたらご指摘お願いします。やさしくねw)
マツコさんは生物的には男性だけど、同じ男性が好きで、格好も女性の格好をしている。つまり、マツコさんは女性になりたいのか?というとそうではないらしい。
そもそも、女性の格好って何?
ってもちろん僕もわからないわけではない。男性はほとんどの場合スカートは履かないし、ブラジャーも付けない。ブラジャーなんかは女性の身体的な特徴から必要とされているものだけど、スカートはなんなんだろ?スコットランドの伝統衣装は男性でもスカートだし、古代ローマやギリシャの彫像を見る限り、上半身の露出の有無はさておきとして男性も女性も同じようなローブを着ている。和服においても基本的な構造は男性女性ともに変わらない。これは、あくまで僕の推測だけど、ズボンと言うものは騎馬習慣のある民族から生まれたんではないだろうか。でも、ズボンが男性の格好というのはごく一部の限られた地域での風習に過ぎなかったのではないかと思う。
で、マツコさんです。彼?彼女?はとりあえず男性の肉体を持ちながらも女性の格好をしているけど女性になりたいわけではない。となると、完全に男性と女性というカテゴリからは超越した存在になってしまうのだと思う。
だからこそ、毒舌が許されているみたいなことをこの本の中で言っていたけど、そうではなく毒舌が的を射ていて、その上傷つく人が少ないし、何よりも優しさに溢れる毒舌だからなのではないかと思う。
世の中ってさ、言いたいことも言えないじゃない?ってポイズンじゃないよw
だからこそ、マツコさんの言葉に人は何かを投影しちゃうんじゃないのかな?
だったらみんなマツコさんみたいになっちゃえばいいじゃない!
体型だけだったら僕は早くなれる気がする。