時間が欲しい。
1日が24時間じゃ足りないと言ったのは山田かまちだったかな?
僕も足りない。
最近よく考える。
Youtubeの動画の合計時間ってどのくらいになるんだろう?
世界中の記憶媒体に保存されている情報ってどのくらいの量なんだろう?
こんなにも、たくさんの情報があると言うのに、僕は、僕の時間はあまりにも少なすぎる。
限りある時間だから大事にする。みたいな理屈を聞く。
実際にそう思う。週にたった1日の休みの使い方、いつもそれに悩む。
悩んでも結局平日にできない家のことやってるとあっという間に時間が過ぎ、せいぜい趣味の自転車乗って遠出するか、パチンコ打ちに行ってしまう。
大事にし過ぎて無駄につかってる。
じゃぁもっと時間があったらどうか?
やっぱり同じかなぁ?何をしたいのかはわかっている。そしてきっと僕はそうするだろう。そしてやっぱり言うんだ「時間が足りない」って。
果たして本当にそうなのだろうか?
ここからは推測なのだけど、世の中のいろんな意味で成功した人やしてる人は時間の使い方が上手いのではないだろうか?
人間の能力の差など本当に僅かなものだ。要するにどれだけその時間を効率的に運用するかなのだと思う。
では時間とは何か?
おそらく時間とは心のつくりだす幻覚なのだと思う。
しかし、人はそれを共通のモノサシで図る術を持つ。
そのモノサシで図られる時間と人が知覚する時間は明らかに違う。
どちらが正しいという話ではない。違いがあることが重要なのだ。
計測される時間は1日24時間、1分60秒と決まっている。それを変えることはできない。
しかし、知覚される時間はどうだろうか?
時に一瞬が永遠のごとく感じられるときがある。
異常なほど高い集中力を発揮すると、周りのものがスローモーションで動いているように見えるときがある。
要するに知覚される時間をコントロールすることさえできれば最も効率的に時間を使えるのではないだろうか?
問題はその方法だね。
って哲学っぽいこと考えてみた。