幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

短小包茎化する文章

下品ですみません。

考えてたの。いろいろと。そしたらこのタイトルになっちゃったw

 

何を考えていたかと言うと、大きく言えば時代?きっかけは長文を読めない子供たちについて考えたことだった。

 

今の子供たちに、と言うと語弊があるのだけど、今も昔もなのかな?長い文章を読むことを嫌う子供たちが多い。大凡の勉強に難のある子供たちはこの傾向が強くて、どのくらいの文章が「長い」文章にあたるかは、それぞれなんだけど、その子達の自覚としては「長い文章」を読むことが苦手だと言う。

 

ある意味仕方のないことなのかなぁと思う。

だって大人も長い文章嫌うでしょ?

ビジネス文章に文才などいらないってのもあるけど、それ以上に情報量が多すぎて処理しなきゃいけないものが多すぎるのだと思う。Lineやメッセージアプリの特徴でもあると思うんだけど、短い文章やスタンプ(もはや言葉ですらない)で意思疎通してたら文章を読むことに対するコスト感って高く感じちゃうと思う。

 

そういう時代背景がある中でもブログっていうものが存在していて、Facebookなんかもその大半の情報は文字による情報、言葉による情報だと思う。でも、やっぱりセンテンスもだいぶ短いものが多いし、情報が受け取り易い形で工夫されていると言えると思う。Twitterに関しては、もうそのサービスの前提が短文だもんね。

 

短い文章って、短ければ短いほどに抽象的になっちゃうよね。もちろん短くても具体的な表現はできるんだけど、多くの場合抽象的な表現になってしまう。だから、受け取り手に解釈を丸投げしてしまっている面がある。

書き手と読み手で文章から受け取る情報が違うってことが多々発生してしまうのはこう言うことなんだろう。炎上や批判を恐れていたり、コミュニケーションとして言葉を使っているとオブラートに包んだような一体何を伝えたいのかわからない文章が出てくるのも当然なんだろうね。

 

で、ここで「あ、短小包茎化してるんじゃん!」って思いついちゃったのw

良い悪いの話ではないのだけどね。