幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

夕暮れがきれいだったから

なんてことはないのだけれども、とりあえず夕暮れがきれいだったから、それだけ伝えたいと思ったのです。

 

んで、まぁ書いてしまうとそれだけでは収まらないっていうのが僕の常で、まぁ少々お付き合いをいただけたらありがたいです。

 

相変わらず、僕の心はかつてのように、赤心さらせるほどに強くはなくて、自分の心が動くのが怖くて、嘘をつくのが辛くて、という言い訳をして相変わらずも誰かの文章を読むのがまだできずにいるのです。

 

悪いとは思っていないので、謝ったりはしたくないのでしないのだけれども、でも、そうね、ありがとう。もし読んでくれる人がいるのであればありがたいことと思うし、いつかきっとまたね。

 

で、夕日です。

 

雪が降ってから、なかなか自転車に乗れずにいたのです。でも久々に今日は乗って、寒さゆえになかなか腰が上がらなかったのだけれども、午後になって気合入れて走り始めました。

 

埼玉に帰ってきてからというもの、自転車で行く先に悩むのです。というのも、微妙にいろんな観光地が遠い、自転車で行くにはね。神奈川に住んでいたときは、最後は言ってしまえば観光地に住んでたようなもんだろうし、鎌倉だって江の島だって30㎞以内で行けた。でも埼玉はねぇ・・・秩父行くにしても、いや行くだけなら多分30㎞くらいでいいんだけど、秩父の観光地ってのは山の上だからさ、上るのは厳しい。かと言って、群馬栃木まで行くと確実に遅くなる。

 

そう、一人暮らしだった神奈川の時代にはない、僕の帰りを待つ家族がいるってことがたぶん僕の行動を制限している。

 

もちろん、家族が足かせになっているなんて言いたくはないのだけど、若いころに感じていたあの家族の重さ、それとは違うなんて言うか、逆に積極的な、それでいて言い訳にしているのではない、家族の元へ帰りたいっていうのがあって、それがいい具合に僕の行動を制限している。

 

よくよく考えてみると、それってつまりは、僕の帰る場所の価値だったんだろうと思う。一人で暮らしていたときには、きっと帰った後の僕の部屋と帰らずに、どこぞのスーパー銭湯の仮眠室で仮眠をとるのと、さほどの差はなかったんだろうね。

 

なんとなく、意を決して走り出した僕は、特にどこを目指すでもなく、自転車を北上させた。

 

なんでかはわからないけど、あてのない自転車での走行はより田舎へと向かう。

まぁ冬なんでね、当然北風が強くて、ほんとすぐ嫌になった。すぐに引き返したいと思って、なんどか本当に足を止めて、考えた。かと言って、三連休最終日、何もしなかった三連休になんか一つくらい自分の中になにか「やった」感が欲しかった。

 

で、まぁ意地になって走ったんだけどね。

 

向かい風の辛さなんてさ、今に始まったことじゃないし、何度となくこのブログでも言及してきているんだけど、今日は本当につらかった。久々の自転車ということもあったけど、平地ではギアを一番重くして走る僕がギアを軽くしようとしてしまったほどに辛かった。

 

不思議だよね。たぶんだけど物理的に考えたらきっと使うエネルギーは同じだろうし、どっちが楽かって言ったら、たぶん気分的にギア比を軽くした方が楽ってだけで、結局、最終的に疲れ方は変わらないような気もするんだ。

 

だから?僕は多少辛くても早く終わればそっちの方が僕は楽だから、僕はギアを重いままで、走った。

 

で、夕日なのです。

 

僕の想いとしては、きっと一人暮らしの僕だったら多少なりとも無理したって、目標としていた場所まで行って、自転車置いてでも帰る方法を模索しただろうし、途中で引き返すなんて、考えもしなかっただろう。

 

でも、夕日が綺麗だったんだ。

 

午後たぶん15時50分くらいだったかなぁ?

なんかもう太陽が店じまいを始めて、世界がオレンジ色に染まっていって、空気も冷たくなって。出掛けに母親に「買い物あるんだったら買ってくるよ」と問いかけて、「ほうれん草の餃子買ってあるから大丈夫」ってかえってきた、「ほうれん草の餃子」が頭によぎって。

 

迷い始めた僕は煙草を咥えて。

 

2,3口吸い込んだ時に聞こえてきた「家路」。

 

僕は夕日を背に方向を変えて家路についた。

 

 

夕日が綺麗だったからね。